広島県呉市の老舗和食店、明治34年創業|海軍さんの料亭 五月荘

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歴史を紡ぐ
海軍さんの料亭

わが国有数の軍港としてかつて栄えた広島県呉市にある、和食「五月荘(さつきそう)」。当店は、明治時代の創業より海軍さん御用達の店として愛されてきた海軍料亭です。
海軍料亭の由来は諸説ありますが、当店では旧海軍の公式文章にお店についての記述があることを条件としています。

「十三丁目の飲み屋も華やかだが、士官の飲み屋は所轄長以上が華山(フラワー)、佐官級が吉川(グッド)、分隊長級が徳田(ラウンド)、ガンルームが岩荘(ロック)を利用…。ところが、潜水艦一家は団結が固く、上下とも五月荘(メイ)を利用することが多かった」

この通り、自衛隊内の記録文書には独特の隠語で当店についての記述が残されており、戦争から数十年の時を経た今でもご愛顧を賜っております。
店内には「日露海戦海図」や「大東亜共栄圏地図」、「軍艦陸奥ノ図(大正十四年発行)」「旧海軍大臣・海軍大将 嶋田繁太郎 直筆の書」など貴重な資料を所蔵しておりますので、ぜひご覧ください。
その他の一部は大和ミュージアムに寄贈もしております。

激動の時代を見つめ、海軍さんや地元の皆様に守り育てていただいた当店で、華やかで美味しい和食を存分にご堪能ください。

五月荘に残る調度品・所属品

日露海戦海図

日露海戦海図

弔辞

山本五十六の同期
旧海軍大臣嶋田繁太郎 弔辞

軍艦陸奥

大正14年6月15日発行 軍艦陸奥①

軍艦陸奥2

大正14年6月15日発行 軍艦陸奥②

凱旋記念の杯

日露開戦の凱旋記念の杯(金属製)

イカリマーク付電球

旧海軍使用のイカリマーク付電球
(マツダ製作)

大日本帝国軍艦寫眞總覽

大日本帝国軍艦寫眞總覽

呉花街案内

呉花街案内
昭和10年国防と産業博覧会用
ガイドブック

昭和17年大東亜戦争画報

昭和17年大東亜戦争画報

五月荘の歴史

1901年 明治34年
初代店主・井口清吾、初代女将・井口美喜野によって、広島県呉市にて営業を開始。海軍さん御用達の料亭として沢山の人達に愛されるように。

初代

1918年 大正7年
天応海水浴場の営業を始める。その他にも少しずつ旅館や娯楽施設などを整備し、敷地も拡大。

海水浴

1945年 昭和20年
呉軍港空襲により五月荘は全焼したものの、わずか2年で営業を再開。3年間は仮設の建物で営業をしながら、新たな五月荘の建設を始める。

建設

1950年 昭和25年
二代目店主・井口秀夫、二代目女将・井口カナヨが就任。
苦しいスタートとなったが好景気にも支えられ、徐々に軌道に乗っていく。
1970年 昭和45年
三代目店主・井口秀一、三代目女将・井口義子が就任。
その3年後には現在の建物に建て直し、海軍さんの料亭として45年もの間、
呉の人達に愛され続けた。
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創業115年目を期に
リニューアルオープン

今なお現存する海軍さんの料亭として日々歩み続ける

2016年 平成28年
三代目から創業115年の歴史を引き継ぎ、同年、リニューアルオープン。「旬の料理とおもてなしの心」を大切にし、何度でも足を運んでいただける店を目指して日々精進しております。

四代目店主 池田 佳幸
四代目女将 池田 聖子

玄関

長年愛され続ける
職人謹製味わい

出汁

昔から変わらず
受け継がれる出汁

和食の伝統を大切に、毎朝職人が丁寧に引く出汁。
北海道産の真昆布と、あらゆるものを試して相性の良さにこだわり
抜いた国産の鰹節を使用。
プロの経験と勘で温度・時間を徹底管理することによって生まれる、
まろやかでコクのある旨みが、あらゆる食材の風味を引き立たせます。

当店の出汁は、近畿大学工学部元教授・渡辺義之(農学博士)によって
化学的に分析が行われ、昆布と鰹の旨み成分であるグルタミン酸と
イノシン酸を最大限抽出している事が実証されています。

五月荘の食材への想い

鮪は「生本鮪」
牡蠣は「かき小町」
肉は「最高級広島牛」

当店が長年多くの方に愛されている理由として、食材のこだわりが
ございます。牡蠣は広島ブランドの「かき小町」、鮪は生の本鮪など、
市場や地元漁師さんのもとへ直接足を運んで仕入れる新鮮魚介。
余分な脂がなく、赤身の旨味をしっかりと感じられる最高級の広島牛。
信頼を置く契約農家さんから直接買い付ける安心安全で
瑞々しい有機・低農薬野菜。
このように、あらゆる食材を最高級品質のものに
こだわって仕入れています。
素材の良さを活かすように職人の技を加えたお料理は、
見た目にも華やかで絶品です。

お刺身

カキ

肉

接待、おもてなしの席に

お祝い・仏事に五月荘の仕出し料理

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